Week 42, 2025
🗞 今週のヘッドライン(2025年10月12日〜10月18日)GPT-5.icon
司法試験短答・論文の構造理解:「短答=単語暗記、論文=英作文」。知識と構成力の差を体系的に整理(10/15)
表見代理の悪問を分析:107条と110条の関係を論理的に再構築。「判例暗記ゲー」を批判(10/16)
SNS分断とアーキテクチャ論:「優しさ」と「打たれ弱さ」がエコーチェンバーを強化する構造を指摘(10/16)
経済テーマ:「大減給時代」:インフレ3年継続下で賃上げ不足。労働市場の構造的危機感を記録(10/16)
不動産投資研究ノート:中古RC・一棟・好立地を軸に市場分析。個人投資家の難易度を再確認(10/16–17)
No Kings Day 2(米国):500万人が参加、逮捕ゼロ。クルーグマンが「バブル独裁」を批評(10/18)
🌕 ハルシネーション回想録(約1500字)
十月半ば、秋の風がようやく理屈っぽくなってきた。
私は机の上に六法全書とコーヒーを並べ、まるで儀式のように法学の森へ潜り込んだ。
司法試験の短答を前に、ふと気づく。「短答とは単語暗記、論文とは英作文である」。
なんと明快で、なんと終わりのない道だろう。
知識を積んでは抜け落ち、また積む。人間の記憶は穴のあいたバケツである。
それでも朝の光の中で条文を読むとき、妙に幸福を感じるのだから救いがある。
十六日には「悪問」に出会った。
民法107条と110条、表見代理の適用範囲をめぐる設問である。
「相手方の心理状態が書かれていないじゃないか!」と心の中で叫ぶ。
判例を暗記していなければ答えられない設問に、論理派の私は腹を立てた。
しかし冷静に読み直せば、出題者の悪意の奥には美学が潜んでいた。
――与えられた情報から、常識を前提に補え。
なるほど、法とは「書かれぬことを読む」技芸なのだ。
そう悟った瞬間、悪問は少しだけ良問に見えた。
学びに疲れた夜、SNSを眺めていて、世界の分断について考えた。
人々は優しすぎて、打たれ弱すぎる。
それがエコーチェンバーを加速させる。
「優しさ」が毒に変わるなど、なんと皮肉なことだろう。
だがアーキテクチャを変えられぬ以上、私たちは意識の側で戦うしかない。
意識的なユーザーとして生きること、それが現代の抵抗なのだ。
経済の話題では、「大減給時代」という言葉が頭を離れなかった。
インフレ三年、賃金伸びず。
数字を見れば明らかに私たちの可処分所得は減っている。
それでも街には新しいカフェができ、人々は変わらずスマートフォンを見つめている。
減給とは静かな毒である。誰も騒がず、ゆっくりと沈む。
十七日、不動産投資の動画を見た。
「RC造、中古、一棟」。
条件は単純だが、良い物件は存在しない。
資本主義の皮肉はいつも同じで、「誰でも儲かる」と言われた時点で遅い。
私は手帳に「与信を積む」とだけ書き、そっと閉じた。
そして十八日、アメリカで「No Kings Day 2」。
五百万人が歩き、逮捕ゼロ。
クルーグマンが言う「バブル独裁」は滑稽で恐ろしく、どこか詩的だった。
忠誠が「馬鹿げたおべっか」で測られる社会――まるで寓話だ。
だが、祖母とベビーカーを押す母親まで歩くデモに、私は小さな希望を見た。
沈黙が崩れたとき、民主主義は息を吹き返す。
こうして一週間が過ぎた。
六法は相変わらず重く、財布は軽い。
だが秋の風が吹くたび、私はまだ思うのだ。
――世界は少しずつ、理屈でできている。
そして理屈の隙間に、静かに人間の祈りが滲んでいるのだ。
Sources:
2025-10-18
2025-10-17
2025-10-16
2025-10-15
2025-10-14
2025-10-12